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「主のみちびき」受洗から救いの確信をえられるまで(今村葉子)

今日、私は18歳で洗礼を受けてから救いの平安を得るまでの神様と私の関係を紹介させていただきたいと思います。


私は日蓮宗の僧侶の娘である母と、化学者の父の長女として大阪に生まれました。僧侶の娘であった母は、日系アメリカ人宣教師から聖書を教えられ、イエス様を救い主と信じ、私が高校生の時に受洗しました。母の受洗を機に暗かった家庭の雰囲気がとても明るくなりました。それを見て私は、イエス様は本当に母を変えることができる神様なのだと思いました。幼少期に大きな病気を患った私は、学校生活を送ることだけでも大変でした。そんな中で良い成績を取ることや、友達や先生と上手くやって行くことで、人からの良い評価を得ようとしていました。評価を気にしながらも心の深いところでは、自分は罪深い存在なのに生きる意味があるのか?と虚しくて仕方なく、とても苦しみました。母を変えた神様にお願いすれば、私も母のように苦しみから救われ、人生が変わるかもしれない。そう信じ、洗礼を受けました。自分の人生を神様に託す決心をした私ですが、生き辛さが収まることはありませんでした。しかし、神様は私を変えることができる。という希望を持ち教会に通いました。


受洗から数年が過ぎた頃、実家の壁に掛っていた聖書のヨハネ3章16節の言葉、「神はそのひとり子を賜るほどに世を愛された、それは御子を信じるものが誰一人として滅びることなく永遠の命を得るためである。」に目が留まりました。神様が私を罪から救うために、ひとり子であるイエス様を私の身代わりとして十字架につけてくださったという言葉。私の罪のためにイエス様が死なれたことを思うと辛くてたまらなくなりました。私の命と比べるまでもなくイエス様の命の方が重いのに、私を救うためにはイエス様の命が必要であったという事実。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)と言ってわたしの命に重きを置き、わたしを愛してくださるという神様の思いは、私にとって重たくてたまりませんでした。この時から受洗はしたものの、私は本当に救われているのだろうか?と思い始めました。


それから2年後、結婚を機にスイスに住み、スイス日本語福音キリスト教会に所属し、牧師夫人と一緒によく聖書を読みました。聖書の中で神様が人間とどのように関わり、どんな場面でどんな言葉を人間に語っているのかを知るようになりました。そんなある日、私は「日本人に贈る聖書物語」という本を読み進めるうちに、イエスキリストの十字架の場面から私は神様の罪に対する厳しさ、神様に見捨てられることがどれほどのものであるのかを初めてリアルに理解できたのだと思います。私は神様の裁きを免れようもないとわかり、異常な恐怖に襲われました。しかし、同時に私の中には「私は見捨てられることはない」という圧倒的な平安がありました。確かに私は神様から見たら裁かれ滅ぶべき存在です。しかし、私の魂(霊、心)が「イエス様がわたしの身代わりとなって滅び死んでくださった。そのことを信じる者は滅びることなく永遠の命を与えられている」という聖書の言葉を信じきっているので平安なのだとわかりました。


この平安は根拠のない平安ではなく、イエス様の犠牲と十字架の救いのあがないという確固たる事実の上にあるとわかったので、自分自身や他者が私のクリスチャンとしてのあり方を責めても、私は救いの確信を疑うことはなくなりました。また辛い現実が長く続くことがあっても、それは神様が私を見捨てているのではなく、試練を通して神様をより深く知ることになる為だとわかりました。だから私は試練の時には神様の圧倒的な平安を祈り求めるようになりました。自分自身を見つめれば欠けだらけで、自信喪失、パニックになりますが、神様が私に成してくださった現実に目を向けるようになりました。また、私の毎日は聖書の言葉によって励まされ、慰められ喜びを持つようになりました。私は今、高校生の時に願った「母のようにわたしも神様によって喜びと平安を持つ日々」を過ごしています。


私は聖書が神様の言葉であり、人を救い、人の毎日の暮らしに知恵と喜びと平安をもたらすことを多くの人に伝えたいと思っています。


「私はあなた方に平安を残します。私の平安を与えます。わたしは世が与えるようには与えません。」ヨハネ14:27、主の平安が全ての人にありますように。

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