心に灯ったいのちの火(深井愛記音)
私は音楽家の家庭に生まれました。両親はクリスチャンというわけではありませんでしたが、キリスト教会付属の幼稚園に通ったことで聖書の神さまについて知り、小学校卒業まで教会学校にも通いました。しかし成長するにつれて、次第に神さまの存在を忘れて行きました。
幼少期から生きる意味や自分自身の価値について悩んでいた私は、人生に対する不満と諦めを募らせていきました。なんとなく続けていたリコーダーで東京の音大に進学してからは親元を離れ、学生生活を謳歌していましたが、人生に対する虚しさやこれらの悩みは心の中に巣喰い、それに苦しめられていました。
ある日、クリスチャンの同級生にこの苦しみを打ち明けたことをきっかけに、神さまを求めはじめました。しかし、私は自己中心的にしか神さまを捉えられず、自分を変えようともがくうちに状況は悪化して行きました。その後大学院に進み、紆余曲折を経て、当初全く計画していなかったバーゼル音楽院への留学の道が開かれました。バーゼルでの生活が始まりましたが、その時点では神さまに触れる機会はなく、日本の大学院に同時に籍を置いていた私は修了するために、一時帰国をすることになりました。
帰国した私に、神さまに依り頼むしかないと思わされる決定的な出来事が起こりました。私は発達障害である「ADHD」の傾向があるとの診断を受けました。これまで感じてきた生きづらさの原因が判明すると同時に、人間の努力では変えようのないものがあり、それに対して完全に無力であると身をもって思い知らされたのです。何日も声をあげて泣きました。そんな中、ある日偶然開いた聖書のみことばが目に留まりました。
あなたは、わたしの内蔵を造り母の胎内でわたしを組み立てて下さった。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
詩篇139篇13,16節
その時、主がご計画を持って私を造り、ずっと見守られていたのだとわかったのです。この瞬間、これまで私は神さまに背を向けて、間違った方向へ必死に歩いていたのだ、と目が開かれる思いでした。神さまを知りながらも、自分の力に頼って生きてきた私が、主の前にそして自分自身に完全に敗北した瞬間でした。それと同時に、主はいかなる時も、この瞬間も私を見ておられる...と感じた時、これまでになく心が満たされ、癒やされてゆくような気がしました。
再びバーゼルに戻ると停滞していたものが一気に動き出しました。イエスさまを受け入れたある先輩の変わり様を目の当たりにしたことで、私は受洗する決心をしました。同じ音楽院のクリスチャンの友人の助けにより、バーゼルの家庭集会、そしてチューリッヒの日本語教会へと導かれました。マイヤー牧師を始め、様々なクリスチャンとの交わりが与えられ、信仰が強められてゆくにつれて先生との学びを通して、自分自身の罪、そして次第にイエスさまの十字架の意味を理解するようになりました。
同僚に嫉妬を抱いて尊敬できない自分、人の悪意にはっとする瞬間、無意識に人を裁いてしまうこと、決してそうしたくはないのに、おかしてしまう失敗。
なぜ、こんなにどうしようもない私が主に愛されているか理解できず祈る時、主はそれらを全てご存知でした。ご自分のひとり子のいのちを捧げるほど私を愛して下さり、この滅びの道から救いたい、と願っておられるという聖書のメッセージが理解できるようになるにつれて、私の代わりに苦しみを受けて十字架についたイエスさまが全てに打ち勝ち、今も生きている事を受け止められるようになって行きました。
いつ私がキリストを受け入れたのか、今となってはうまく思い出せません。詩篇のみことばに触れてひざまずいて祈ったあの日から、私は主と共に歩むことを決めていました。ただ、その時点では自分の罪についても、イエスさまが私に「何をしてくださったのか」もよく知らなかったのだと思います。それが、聖書の学びを通して次第にレンズのピントが合うようにはっきりと分かるようになりました。イエスさまは、私がまだ何も知らない子どもの時から私の「救い主」でした。
自分の弱さや生きづらさに困り、挫けそうになっている私に、イエスさまが私を背負い、日々寄り添って共に歩んで下さることが理解できた時、私の心にいのちの火が灯った感覚がありました。イエスさまのいのちによって私が生きている、と言った方が良いでしょうか。 これまでの生き方とは180度ものの見方が変わり、生まれ変わったような心持ちがしていますが、状況が変わっていない部分も多くあります。しかし、あれだけ虚しさに溢れていた私の心に生きる喜びと希望、そして感謝が湧き上がってくるようになった事は、これまでにない確かな事です。私は良い時も悪い時も、全てを成し遂げて下さる主に信頼して、感謝と共に日々歩んで行きたいです。
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