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ゴールまで導く神様

 SLIMカンファレンスでは、大会会長の内村伸之牧師により、ビジョンキャスティングが行われます。なぜ私たち(キリスト者)は神と教会に仕えるのか?それは私たちの救い主であり、神でもあるキリストが徹底して父なる神に仕えられたからであり(ピリピ2:5~9)、教会に仕える理由はキリストが十字架に架かる前、過越の祭りを祝うその席で、愛する弟子たちにのちに現れる教会を神が愛しておられ、その頭がイエスキリストであり、それに連なる信者が教会の身体であるように、それぞれがなくてはならない存在としてこの世から召し出され、教会に仕えるものとなるように話されたからです。

 さらにキリストはどのように教会に仕えるのかを具体的にその身をもって示されました。「誰でも人の上に立ちたいと思う者は皆のしもべとなりなさい。」(マルコ10:44)。これは、この世とは違う視点(天の視点、神の視点)を持ちなさい。という意味でもあります。この「天の視点で物事を見極めていくこと」はこのカンファレンスのキーワードでした

 クリスチャンはこの世に生きつつ、常にこの視点に立つことを求められているのだと思います。メインスピーカーとして招かれた松本章広先生(シンガポール日本語教会牧師)は4講演に渡り「神のご計画に従って召された私たち」のテーマで神の計画に従って召された聖書の人物(ヨセフ、ヨセフと兄達、ヤコブ、イスラエルの民たち)を取り上げメッセージされました。

 聖書に出てくる登場人物は誰もが神の計画の中に生かされていて、神の召しに従って生きる人と自分の召し(自我、思い)に従って生きる人が描かれています。現代に生きる私たちもその2つのタイプに分かれると思いました。どの人の人生にも順境の時と逆境の時があり、クリスチャンでもそれは同じです。

 しかし、神様の召し(計画)に信頼し従う人は、神様の約束を待つことができ、また試練を通して神様の召しにふさわしく神様の示す天的視点を持つようになるので、その人生は限界のある人間の考えが及ばないような展開に導かれて行きます。それは、「私が神様を信じた」という小さな出来事が、実は遥か昔から続いていた神様の計画の流れの中にあり、私と神様の個人的なつながりが、昔の信者たちとそして今を生きているクリスチャンたちとに繋がることとなり、この大きな流れは一つのゴール(と言ってもゴールは永遠への始まりなのですが)へと向かうのです。

 では、ゴールとは何か?これがこのカンファレンスのメインテーマと思いました。個人的に救われた私(信者)がこの世で目指すゴールとは、神と教会に仕えることで、「そんな器じゃないです。」とはもう言えないと思いました。なぜなら私はそのために救われたのだから。そして私たちが召された器に整えるのは人ではなく神がなさることだからです。

 最終日の主日礼拝では聖餐式が行われました。聖餐式は悔い改めた者のためにある、神様への感謝と愛の表明です。同じ神を信じる者が一致して悔い改めの涙を持って共にパンを食べ、ぶどう酒を飲むことの他にこの世に麗しいものはないと思いました。教会は悔い改めの実を結ぶ場所であるべきだと思いました。

 SLIMカンファレンスは神と教会に仕える人が集められ、またそれぞれが集う地域の教会に帰っていくところでもあります。主にある一致を学んだ一人一人がその麗しさを持ち帰り、恵みをそれぞれの地域教会で表すこと、各地の教会が豊かになることを心から願う場所でもあります。これからも主に召された人たちが整えられ送り出されるカンファレンスとして神様からの祝福が注がれ続けますことを心からお祈りしています。

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