「天的」視点を持つ
Schwarzwaldに囲まれた美しい自然の中で、たくさんの方々と共に学び、また祈りあった4日間の中で多くの気づきがありました。今回の「神のご計画に従って召された私たち」というテーマに沿ってお二人の先生からメッセージが語られました。松本先生が語られた、創世記のヨセフ物語による解き明かしの中で、“「天的」視点を持つ”というキーワードがありました。
ヨセフは様々な困難や試練に遭遇しますが、どんな時でも「主は共におられた」創世記39:23とあります。より良い状況の時は、「主は共におられました!」と喜びと感謝を持って言うことができるのに、何かしらの困難にぶつかった時、私の心は不安や思い煩いで一杯になってしまいます。頭では神様は共に居て下さり、全てを益として下さることを知っていても、心の奥底のどこかで完全には委ねられていないのです。
「私たちは天的な視点が持てているだろうか?」この問いかけに、はっとせざるを得ませんでした。問題のただ中に居る時の弱々しく、不信仰な自分の姿をここに来てはっきりと見せつけられたような気がしました。神様は摂理の御手の中で私という、どうしようもない迷い羊を召して下さいました。
このSLIMで様々な人と語り合い、分かち合う中で、祈られるということがこんなにも温かく、勇気づけられるのだということにも気づかされました。私が歩んできた道のりの中でどれだけの人に支えられ祈られてきたか、全てがひとつの道となって繋がったような目が覚めるような思いでした。
神様のご計画の中で、これからも様々なことがあるでしょう。つい思い煩い、不安が先立つ私は、両手に握りしめているこれまでに縋ってきたものを手放せずにいました。より信仰が強められ、変えられてゆけるようにすべてを益として下さる方に最善を祈り求め、すべてを委ねて日々を歩んでゆきたいと思います。
この機会を与えて下さり、導いて下さった神様に心から感謝して。