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救いの証(鶴田朋之)

更新日:2021年1月27日

こんにちは。ミラノ賛美教会の鶴田朋之と申します。


これは、今から15年ほど前の、私がイエス・キリストを信じた時の証です。キリストに出会う前の私は、イタリアでの勉学も終えて、これからどうしようか、そろそろ日本へ帰るのかな、などと考えながら、特に何をするでもなく、なんとなくのイタリア生活を続けていました。


そうした中で、せっかくこうしてイタリアに住んでいるのだから、イタリアのルーツであるキリスト教のことをきちんと知りたいと考えるようになりました。そのような時、友人の韓国人クリスチャンの結婚式に招待され、そこで内村牧師夫妻や教会のメンバーに出会い、彼らとの交流が始まりました。私はさっそく内村牧師に聖書のことを知りたいと相談し、学びが始まりました。その学びは「受洗前の学び」というもので、恥ずかしい限りですが、私はそこでイエス・キリストが実在した人物だということを初めて知るくらい無知だったわけです。そして、その学びに対する私の姿勢は、あくまでも「イタリアの歴史、哲学を聖書から学ぶ」というものであり、それ以上のものではありませんでした。そのような感じだったので、その学びが終わっても私はキリストを信じませんでしたし、自分とは関係ないと思っていました。自分に罪があることは否定しないが、それは自分で背負うべきであり、自業自得・因果応報が世の中の正しいあり方だと考えていたのです。なので、わざわざキリストが私の罪を背負う理由がわかりませんでした。


学びが終わった後も、キリストは私に対するアプローチをやめませんでした。そこから私は、自分が持っている罪の大きさというものを否応なしに自覚していくことになりました。それはもちろん御言葉を通してでもありましたが、それ以上に、周りのクリスチャンを通して自覚させられていく部分が多かった気がします。

私はその現実から必死に逃れようとしました。私の中の罪の性質が、キリストの十字架の意味を直視することを恐れ、激しく抵抗したのです。自分がそれまで自力で築き上げてきた「自己中心的な価値観」、「自業自得」という、実は自分にとって都合が良いだけの罪の消化方法、それらが根底から覆されることへの恐怖がありました。それは、私が自分の存在意義だと信じて生きてきたものを全否定することだったからです。しかし、キリストは私から決して手を離しませんでした。私の手を強く握り、どこまでも追いかけてきました。私はだんだんと、キリストから逃げることに疲れていきました。


そんな中、ノルウェーに暮らしていたある日本人クリスチャンのご婦人が交通事故で意識不明の重体に陥り、その2週間後にご主人と3人のお子さんを残して亡くなるという出来事がありました。この出来事は私に激しい動揺と怒りを与え、私はその怒りをキリストに向けました。愛、愛と言っておきながら、なぜキリストに愛されていたはずの人を黙って死なせたのか。神はあれだけみんなが祈っていたのを知っていたはずなのに。あなたがいう愛って一体なんなんだ?


私は自分の中にある怒りをそのままの形で内村牧師にぶつけ、内村牧師は率直にそれに向かい合ってくださいました。その時、私が具体的にどのような言葉を発し、内村牧師がそれにどう答えられたのか、正直私はほとんど覚えていません。何が起きていたのかもわかりません。ただ私はその時、キリストとの真剣勝負に負け、神の愛の前に白旗を上げるような形で、そのままの自分をキリストに委ねるしかなくなったのです。

これが私の救いの証です。ヤコブのように、格闘することでしか神様に出会えない者である私のことを、もっともご存知であった神様が、このような格闘の機会を与えてくださり、よく分からないうちに導いてくださったことを、15年以上の時が経った今は、心から感謝できます。


今の私は、あの時には受け入れきれなかったキリストの十字架の大きさ、その果てしない愛を毎日知らされながら、その愛の中で生かされています。それは、日々自分の罪の重さを知ることであると同時に、その罪をすべて背負ってくださったイエス・キリストの愛に自分を委ねて生きるということです。今回、このような証の場をくださった神様に感謝します。

 
 
 

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