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個人的に語りかけてくださる神様(今井僚子)

私は叩く楽器、打楽器を専門に演奏する音楽家です。日本とオランダで勉強し、2年前結婚を機にポルトガルに移住しました。今もフリーランスで演奏活動を続けています。今日は私の人生に介入された主キリストを証します。


私は日本では珍しい5代目のクリスチャンホームに生まれ、幼い頃から祈り守られ成長しました。教会付属の保育園に通い、日曜礼拝は勿論、家でも家庭礼拝や人を招いて聖書の学びや交わりが行われていました。


自分の信仰を考えるようになったきっかけは、中学の吹奏楽部で教会学校の為に日曜の部活に遅れて行ったら、先輩から酷く怒られ「宗教に騙されているんじゃないの」と言われたことです。大切にしていることを真正面から否定されたのが衝撃で、それ以来自分が信じている事を人に話すのが怖くなりました。それでも教会は部活がない日に行き、中高科の先生や神学生のサポートもあり、私の罪の為に死んでよみがえられたイエス様が私の救い主であると信じ、高校2年で洗礼を受けました。この頃の罪の認識は、妹や弟をいじめるとか、悪口を言う、嘘をつくといった事でした。


教会で奉仕を始め、順風満帆に見えるクリスチャン生活でしたが、私の想いは複雑でした。物心着く頃自然に神様を受け入れていたので、劇的に救われた方の証が羨ましかったり、教会の人から褒められたりすると反発したくなりました。その葛藤を、信頼するキリスト者学生会(KGK)の主事に話したら「あなたがクリスチャンホームに生まれた恵みは大きい、その環境でなければ信じなかったかもしれないあなたへの憐れみだ」と言われ、とても納得しました。


歳を重ねるごとに、自分の責任で選択することが増えて行きます。クリスチャンの自分にとって、音楽の道へ進むことは、神様から与えられた賜物を生かすことだと、早くから明確に示されていたのは祝福でした。音楽の厳しい競争社会で多くの挫折もありましたが、家族や多くの人達の祈りに支えられ今に至っています。


一方、堅い土台に立っている様に見えた、親から受け継いだ礼拝を守る習慣・信仰は、親元を離れ選択の自由が与えられた時に優先順位が後になって行きました。制限が沢山ある不自由なクリスチャン生活よりも、この世の価値観の方が魅力的で自由に思え、自分はクリスチャンだし節制できるからと高をくくり、人間関係づくりという名目で夜遊びに興じるようになります。そこには巧妙に罪が待ち受けていました。芸術家としてユニークで格好良い存在で居たいという自己承認欲が徐々に強くなり、人から注目されることに快感を覚えて記憶を無くすほどお酒を呑み、自分の若さや外見に価値を見出してくれる異性を求めました。いつか本当の自分を分かってくれる誰かが現れることを期待しましたが、あったのは寂しさと怒りと無力感だけで、罪悪感と羞恥心からますますクリスチャンであることを隠すようになりました。浅はかな自分を断罪されることを恐れ、詳しく相談できるクリスチャンはいませんでしたが、時折参加する礼拝や集会で、以前は何とも思わなかった御言葉が自分の中に響くことにかすかな希望を抱きつつも、相反する二面性のギャップに苦しみ続けていました。


そんな中、ある礼拝のメッセージでヨハネ21章最後のシーンが迫ってきました。弟子なのにイエス様を3度も否定し逃げたペテロ。イエス様が一言も責めず、同じ3度「あなたは私を愛しますか」と質問された事にペテロは心を痛め「あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と答えます。私はペテロの気持ちが痛いほどわかりました。神様は同じように私を理解し、赦し、再度語りかけて下さっている。その愛の大きさに涙が止まらず、背き続けた罪を赦して下さい、私はあなたを愛し従いますと応答しました。人に期待するのではなく、既にありのままの私を認め、愛して下さっているキリストに目を向ける事で、自己承認欲から解放され、罪赦されて心は自由に、嬉しくなりました。


ルカ22章32節「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

私の人生に個人的に関わって下さるイエス様に感謝します。信仰が危うかった時も祈りとりなし、語りかけ、御前に引き戻して下さいました。これからも、私を愛し、弱さもすべてご存知である全能の主に力を頂いて、従っていきます。

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