救いの証
私がイエス様、神様こそが真の救い主であると信じたのは16歳の高校一年生の冬になります。改めて振り返ると私は今のいままで本当に神様に守られ愛され生きてきた人生だなと思っています。 私の家は両親、兄弟がクリスチャンというわけでもなく、私だけが家族の中でイエス様を信じている身にな...
救いの証(山田桂子)
私の生まれ育った家庭にはクリスチャンが一人もいませんでした。むしろ熱心に毎日朝と晩に仏壇の前に正座をして、お経を唱える祖母と同居し育ちました。 幼稚園はミッションの幼稚園へ通ったのですが、そこでは毎日お祈りの時間があり、「いつも優しい神様、イエス様」と呼びかける先生のお祈り...
「主のみちびき」受洗から救いの確信をえられるまで(今村葉子)
今日、私は18歳で洗礼を受けてから救いの平安を得るまでの神様と私の関係を紹介させていただきたいと思います。 私は日蓮宗の僧侶の娘である母と、化学者の父の長女として大阪に生まれました。僧侶の娘であった母は、日系アメリカ人宣教師から聖書を教えられ、イエス様を救い主と信じ、私が高...
救いの証し(石松玲子)
私は昭和29年1954年に九州福岡県の片田舎に生まれました。66歳です。村中が浄土宗で、家には黒い顔の後ろに真っ赤な火を背負っている怖い不動明王の像がありました。小学校3年の時に家族5人と不動明王も一緒に東京へ引っ越しました。転校間もなく同級生の誕生日会に誘われそこで小さな...
救いの証し(まあみ)
私は群馬県高崎市で、特に決まった宗教を持たない、サラリーマン家庭で、三姉妹の長女として生まれました。3人とも小さい頃から、色んな習い事に挑戦させてもらいましたが、私はどれも長続きしなかった中で、小学生の時に始めた水泳だけは、その後大学まで続ける事になりました。小学生・中学生...
心に灯ったいのちの火(深井愛記音)
私は音楽家の家庭に生まれました。両親はクリスチャンというわけではありませんでしたが、キリスト教会付属の幼稚園に通ったことで聖書の神さまについて知り、小学校卒業まで教会学校にも通いました。しかし成長するにつれて、次第に神さまの存在を忘れて行きました。...
救いの証し(水島伊緒)
わたしは、1973年に八王子に生まれました。平均的な家庭でしたが、2歳下の弟がいたので母親は余裕がなく、緊張感のある環境で育ちました。ひとのきもちを読み取るのが下手な上、自信がなく、虚勢を張ったり、ひとを断罪し、人間関係を常にこじらせていました。勉強は好きだったので、親に反...
救いの証し(後藤千晶)
私は幼い頃から、父の影響でクラシックギターはじめ、両親の応援のもとギタリストになりたいという夢を持っていました。高校卒業後、留学資金を貯めるために音楽とは全く別の職業に就きました。 仕事を始めて2年半ほどたった時に、異動を命じられました。...
証(曽我部実穂)
我が家は母子家庭です。 父は牧師でした。正直、父の記憶はあまりなく、どのように語るべきかわかりません。 ただひとつ言えるのは、父は教会のお金を使ってしまった弱い人だったということです。 日本の田舎町で、2歳から9歳まで教会の子として育ち、周りの子と何か違う自分の環境に不自由...
個人的に語りかけてくださる神様(今井僚子)
私は叩く楽器、打楽器を専門に演奏する音楽家です。日本とオランダで勉強し、2年前結婚を機にポルトガルに移住しました。今もフリーランスで演奏活動を続けています。今日は私の人生に介入された主キリストを証します。 私は日本では珍しい5代目のクリスチャンホームに生まれ、幼い頃から祈り...