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救いの証し(後藤千晶)

私は幼い頃から、父の影響でクラシックギターはじめ、両親の応援のもとギタリストになりたいという夢を持っていました。高校卒業後、留学資金を貯めるために音楽とは全く別の職業に就きました。


仕事を始めて2年半ほどたった時に、異動を命じられました。

勤務形態が変わることでレッスンに通うことが出来なくなる事を知り、同じギタリストの先輩に相談したところ、ストラスブール音楽院の教授である今村泰典先生のマスタークラスを勧められました。留学先が決まっていなかった私は先生のレッスンを受け、ストラスブール音楽院の環境がとても良いことが分かり、留学を決意し会社を辞めました。


留学生活が始まり数ヶ月経った時に、聖書のお話を聴く会へのお誘いを頂きました。西洋音楽を勉強する上で、聖書の知識は必要だと聞いていたので興味もありましたし、友人から「そのあとに、おいしいピザも食べられるよ。」との言葉につられて、参加してみました。


わたしの両親はクリスチャンではありません。親族にも友人にもクリスチャンはいませんでした。ですから、キリストは私にとって随分遠い存在でした。


そんな私はもちろん聖書の知識も殆どなく、マイヤー牧師がお話下さる内容が全く理解できませんでした。学び会の最後に、みんなでお祈りをしました。クリスチャン家庭で育っていない私にとってそれは初めての経験でした。とても不思議で、どこか温かい印象を受けました。その後も聖書のお話を聴く会がある時には、必ず参加していました。

そして、そこで出会ったクリスチャンの勧めで私は聖書を読み始めました。

数ヶ月後のクリスマスの日に、今村ご夫妻のご自宅でお話する時間を与えられました。聖書や祈り、そして罪についての話をしました。学び会の中で、何度か罪についてのメッセージは聞きましたし、聖書を読む中で段々と知識もついていましたが、自分が罪人であることが全く実感できていませんでした。しかし会話をしているうちに、過去の人生の中で、友人を傷つけてしてしまったことや、自分の傲慢さ、自己中心的な考えで自分自身を神としていたこと、心の中で人を裁いてしまうこと、そしてイエス様を信じることから目を背けていること、自分が罪人であったことを知って、涙が溢れだしました。そしてこのことから、本当は自分の心のどこかで神様を信じていることに気付き、初めて自分でお祈りしました。


その後に、SLIMカンファレンスに参加する機会が与えられました。数日間にわたって聖書を学んでいく中で、イエス様が十字架に架かって死んで下さったことが、まさにこの自分の罪の救いのためだということを確信しました。最終日にあった聖餐式で、内村牧師が「まだクリスチャンではない隣人のために祈りましょう」とお祈りをされたときに、わたしのために誰かが祈って下さっていることを知り、胸がいっぱいになりました。隣人のために神様へお祈りすること、そしてそれに応えて下さる神様の愛の深さを経験をし、私は受洗を決意しました。 受洗から今までの日々のなかに、神様は数えきれないほどの恵みを与えてくださいました。その中でも、共に祈り合い讃美を捧げる信仰の友と出会いは、何ものにも代えがたい宝物です。最近では、ストラスブールで一緒に聖書を学んでいる友人が、信仰告白へと導かれ、神様の愛を改めて実感する機会がありました。


《主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。エレミヤ書31章3節》

という御言葉にあるように、罪の中にいた私を救い出してくださった神様の愛に感謝して、これからも隣人のために祈り、イエス様との信仰生活を歩んでいきたいと思います。

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