救いの証し(水島伊緒)

わたしは、1973年に八王子に生まれました。平均的な家庭でしたが、2歳下の弟がいたので母親は余裕がなく、緊張感のある環境で育ちました。ひとのきもちを読み取るのが下手な上、自信がなく、虚勢を張ったり、ひとを断罪し、人間関係を常にこじらせていました。勉強は好きだったので、親に反対されても大学院に進学しました。


ずっと自分に存在価値が見出せず苦しかったのですが、自分の人生に対しては不思議な感覚をもっていました。


最初の結婚も不測の妊娠によるものだったのですが、デンマークに移住するきっかけも偶然によるものでした。出産を機に研究職から退き、研究活動を恋しく思うばかりに母校の研究室に訪れたところ、研修中のデンマーク人女性に出会い、彼女がわたしをデンマーク工科大学の研究プロジェクトに招聘してくれたのでした。3年契約で終わったら日本に帰るつもりでしたが、デンマーク人と一緒になることになり、永住になって今に至ります。


自分の意志に関係なく人生の転機が起きてばかりだったので、何か大きな力が働いているのではないかと思っていました。


2004年に始まったデンマーク人との生活も徐々に疲弊していきました。破綻しかかっていた2012年、コペンハーゲンの日本語の家庭集会に参加し始めました。きっかけになったのは、親しくしていた日本人夫妻でした。仲がいいと評判の夫婦であり、それぞれ尊敬できる方々で、知り合ってずいぶんたってからクリスチャンであることを知り、信頼している彼らが信じるものはなんだろうと興味がわいたからでした。聖書はまったく目を通したことがなく敷居が高いものと思っていたのが、人間の弱さが赤裸々に書かれていて親近感がわき、同時に自分の弱さも認識するようになりました。


二度目の離婚の直後の2014年のイースターのときに友人とカソリック教会の礼拝で、受難の日の裁判を再現する掛け合いに、イスラエル聴衆のひとりとして参加しました。みんなと、イエス役をになっている司祭者に向かって、「十字架につけろ、十字架につけろ」と訳も分からず劇中で声をはりあげていくうちに気持ちが高揚してきて、正義をふりかざし人を断罪してきた自分の罪を自覚するようになりました。そして、教会に掲げてある絵を回りながら、イエスが十字架にかけられた過程をみて、この死にわたしの罪も関わっていることを痛感しました。


しかし、二度の結婚やひととの衝突で自分の過ちを認識しながら、赦すことに関してはなかなかわからず、ひとを恨み続け、またそういう自分の闇から逃げようともがき続けました。ところが、2016年になってから、なぜだか様々な理由で近しいひとたちが離れ、母でさえも実家には帰るなと居場所を用意してくれず、孤独に陥り闇に堕ちていきました。しかたなく、ひとりになろうと割り切ったときに、暗闇の中に光を見出したのでした。 「でもわたしは、こうして異国であっても住まいがあり仕事があり、十分の場所を用意されているではないか。ここで生かされているんだ。」


あんなに孤独が怖かったのに、いざその状況になって初めて生きていることの恵みを感じやっと神の愛に触れることができ、こんなに弱くて罪深くても赦されている、ということがわかったのでした。そして、世の中いろんなひとがいるけれど、同じように神の愛によって存在していることを認識しました。


わたしは出産したときのことを思い出しました。たまたま同じ日に、ほかの二人のお産がありました。ひとりは、まだ18歳なのにすでに二人目の出産で、もうひとりは相手が刑務所にはいっているとのことでした。同じ日に同じ場所で生まれたのに、ひとは生まれながらにしてこうも異なるのだという感慨をもちました。それぞれ環境や境遇が異なっても、神の愛によって存在していたのです。


それなのに、わたしはどれだけひとのことを恨んだのでしょうか。わたしを傷つけたから?わたしを拒んだから?でも、それもわたしの都合でしかなく、相手のことをまったく思いやることはありませんでした。わたしがひとを断罪してきたように、イスラエル人がイエスに罵倒を浴びさせ、それなのに何も抵抗せずに亡くなり、復活されたおかげでわたしたちの罪が贖われ直接主と結びつきをもたらしてくれた有難みに初めて気が付いたのでした。


信仰をもったあと、デンマーク語のブラッシュアップのために何か興味がありそうな勉強会を探していたら、たまたま自宅の近所の教会で聖書の会があることを知り、そこで牧師さんとの出会いがあり、洗礼をお願いしました。半年間の準備期間を経て、2017年の5月に受洗しました。実はその教会で2006年に結婚式を挙げており、その際別の牧師さんとの面談で今の自分があるのは関わってきたひとたちのおかげですと言われたことがずっと印象に残っていたのですが、まさに生まれてからこのかた起きたこと会ったひと、苦しかったことも含めてすべてが今につながっており、それも主の導きであると思っています。


それまで自分の存在意義を見出すために働いていたのが、どのように自分の賜物を生かし社会に捧げていけるかというふうに考えが変わりました。以前はコンプレックスだったコミュニケーション能力に嘆くのではなく、自分のつきつめる性格に感謝するようになりました。


信仰をもって、わたしは主のご計画されている流れにあることを知り、いつも共におられるという信頼の軸をもって生きられるようになり、その主の愛に感謝を捧げたいと思います。

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